2014-12-29

2014年のウィンウッドを振り返って

今年は6月に全米ソロツアー(西海岸を中心に11会場で12公演)を行い、その後8月から10月まで全米ソロツアーをトムペティ & ハートブレーカーズとともに行った(34会場で37公演、そのうち単独ソロ公演1つ、また9/6のライブではWidespread Panicと共演)。ツアー中にトムペティ & ハートブレーカーズとの共演も実現しました。全米ツアーを1年に2回もするとはすごいけど、その分レコーディングからは遠ざかっているわけです。しかも来年のソロツアーの予定がすでに出てるし。。。だけど毎年精力的に活動しているのはいいことです。それでは皆さんよい年末年始をお過ごしください。

2014-12-27

TrafficのMr Fantasy (1967)とJimmy Miller

今回はTrafficのMr Fantasyの録音とプロデューサーのJimmy Millerに関する話題です。前回紹介したPhill Brown氏の著作だけでなく他の記事やインタビューなどからの話も含めて書きます。

ロンドンのオリンピック・スタジオで1967年2月から行われたトラフィックの録音は一風変わっていて、スタジオ内に大勢のゲスト(バンドのメンバーの恋人や友人など)がいて賑やだったが、同時にアットホームな雰囲気にもなっていた。曲によってはスタジオの床に敷いたカーペットの上にバンドが輪になって座り、アコースティック・ギター、パーカッション、フルート、ピアノを録音した。

有名なのがDear Mr. Fantasyの録音についてのエピソード。スタジオはだいたい20x15mぐらいの広さで、スタジオの奥に一段高くステージ状になっているところがあり、その上でトラフィックが演奏するのをライブ録音した。Dear Mr. Fantasyの録音中、曲の最後テンポが早くなるとき、エンジニアのEddie Kramer氏はジミー・ミラーがコントロール・ルームからいなくなっていることに気づいた。よく見ると、彼がスタジオの中を全力で走っているではないか!そしてバンドのステージに駆け上がり大きなマラカスを手に取り超飛び入りで録音に参加。バンドのメンバーは演奏しながら皆驚愕の表情だったそうだ。

正式クレジットには出ていないが、ファンタジーの最後に出てくるマラカスはジミー・ミラーの演奏でした!グルーヴを生み出すには何が必要か常に考え、気づいた事はすぐに行動に移しまた自ら積極的に演奏にも参加する、なんとも素晴らしいプロデューサーでした。自分はあのマラカスを聞くたびにこのジミーの行動とその時のメンバーの表情を想像してしまいます。。。昔だから無理な話だけど、もしこの時の録音風景が映像に残されてあったらすごく面白かったのに、とも思ってしまう。それからこのアルバムの最終曲 Giving to youで "You know where I'm at, but I mean jazz."と言っているのも実はジミー・ミラーです。またジム・キャパルディとスティーブ・ウィンウッドは、TrafficのCD:The Last Great Traffic Jamに収録のインタビューで、上のファンタジーの録音に関するエピソードに触れていて、ジミー・ミラーは陰のヒーローでトラフィックに偉大な貢献をした人物だと語っています。またMedicated Gooでのパーカッシブなピアノは彼のアイデアだそうです(*注)。それに加えて彼はMedicated Gooを始めTrafficの曲の歌詞をいくつか書きました。

Jimmy Millerとウィンウッドの関わりは、Spencer Davis GroupのGimme Some Lovin'、I'm a man、それにトラフィック(Mr. Fantasy(1967), Traffic(1968), Last Exit(1969))やブラインド・フェイス(1969)のアルバムなど数多くあり、ウィンウッドの音楽を語る上で欠かせません。

(参考リンク)http://www.furious.com/perfect/jimmymiller.html

(*注)John Barleycorn Must Die(1970)のGladのピアノ演奏(プロデュースはウィンウッド他)にもそれが生かされている。


Traffic: Dear Mr. Fantasy

2014-12-23

ファーストアルバム Steve Winwood(1977)のレコーディング詳細と秘話

Phill Brown (フィル・ブラウン氏)による著作Are We Still Rolling? の本からの情報です(amazon.comのページのLook Insideで本の目次などが見れます)。彼はレコーディング・エンジニアなので、機材や録音に関する話が多くのっています。彼はスティーブの録音に何回か関わり、この本にはTraffic (Mr. Fantasy), Go, それにSteve Winwood (1977)の章があります。また彼はAmazing BlondelのBlondel (1973)も担当しました(Winwoodはベースで参加, ドンサノヴさん情報サンクスです)。
今回はスティーブのファーストアルバム、Steve Winwood (1977)に関するレコーディング詳細と秘話です。


1. Chipping Norton のスタジオにて


Mark Miller-Mundy(steveの近隣の住人らしい)が Walk Me to the Lilies(検索してもこの曲に関する情報は出てこないので詳細は不明)という曲を録音したいということで、アイランド・レコードのFallout Shelterに1976年10月11日に集まった。スティーブはピアノに向かい、セッション中ほとんど無口でこの曲に取りかかったが、やる気がなさそうだった。2日間作業をしたのち彼が言った。『この曲は自分に合ってない。だけど自分の曲やアイデアはたくさんあるので、自分のスタジオかチッピング・ノートンでやらないか?』マークとフィルは同意し、結局後者で行うことにした。
1976年10月27日にチッピング・ノートンのスタジオに集まり、セッションを行うことになった。メンバーはJohn Susswell (Dr), Alan Spenner (bass), Brother James (perc), Junior Marvin (g). スティーブはやはり無口で、セッション中ほとんどアイコンタクトをしなかった。
スティーブは毎晩のセッション後に自分(フィル)を30kmほど離れた自宅に泊めてくれた。(フィルによればスティーブ所蔵の自慢の車のコレクションは1930年代のキャデラック、2台のフェラーリ、1960年代のフランスのスポーツカー(4台)、メルセデス サロンなど)。
毎朝スティーブが運転するフェラーリ・ディーノに乗って30分かけてチッピング・ノートンまで行った。車高が低く(おそらく地面から10cm)狭い田舎道を時速160km以上でぶっ飛ばしたので、私は毎回死ぬ思いをした。スタジオに着くと気持ちを落ち着かせるためにまず紅茶を飲む事を必要とした。セッションが終わって同様に怖い思いをしながらスティーブの邸宅に車で戻ると、2人で大きな暖炉の前に座って(あまり会話をせず)朝の5時か6時まで過ごしたものだ。アームチェアに座り、紅茶を飲みながら今日起こった出来事をかいつまんで話した。会話は多くなかったが、不思議とそれでもとても心地よかった。
スティーブはスタジオで10曲録音した。“Vacant Chair”と“Time is Running Out”などはほぼ仕上がり、“Hotel Blues”(Jim Capaldiの曲か。彼のアルバムElectric Nights(1979)に同名曲があり)と“Luck’s In”などはまだ完全ではなかった。ある朝電話があり、クリス・ブラックウェルが出来具合をチェックしたい、と要請があったので、私(フィル)は彼に聴かせるために曲を急いで仕上げた。全部聞き終わるとクリスはスティーブに一言、『どれもグレートな出来だが、アンディ・ニューマークとウィリー・ウィークスと共に録音し直すべきだ』。スティーブが驚いてどういう意味か尋ねると、『曲はどれもいいが、アンディ・ニューマークとウィリー・ウィークスのリズムセクションはとても優秀で、君の曲にはぜひ必要だ』と言われ、スティーブは『分かりました、そうしてみます』と乗り気がなさそうに言った。クリスの音楽センスは抜群だし、彼のアイデアは通常成功しがちで、さらに彼が自分たちのボスなので従わざるを得なかった。

2. Basing Street Studiosにて


クリスの指示に従うためにベイジング・ストリート・スタジオ2に入った。メンバーはスティーブ(キーボード、他)とAndy Newmark (Dr)とWillie Weeks (bass)の3人だ。3人が向かい合っての演奏なので、以前と違ってアイコンタクトもしやすい状況だった。録音にはクリスも立ち会っていた。3人はリラックスして、演奏も活気がありとても生産的だった。チッピング・ノートンからのレコーディングからは1曲のみ(Vacant Chair)が残った。残りの4曲はベイジング・ストリートでの録音だ。

3. Island Mobile を使ってスティーブの自宅での録音


スティーブ、マーク、フィルの3人は1977年1月3日にベイジング・ストリート・スタジオ1でオーバーダビングを始めた。しかしスティーブはグロスタシャーの自宅にあるハモンドの方が音がいいのでそれを使いたいと主張したので、そうすることにした。そのためにアイランド・モービルと言われる移動式の録音スタジオを使用することに決めた。そして1/20にスティーブの自宅までアイランド・モービルを運んだ。作業は進行し、あとは Midland Maniacのマスター作りだけになった。この曲は(当初)ピアノだけで演奏された。録音はチッピング・ノートン、ベイジング・ストリート、そしてスティーブの自宅で行われたが、スティーブはそのどの出来にも満足していなかった。この曲の事を話し合っている時にスティーブが提案した。『ベイジング・ストリートでの録音は前半と終わりが良いが、中間部は良くない、そして自宅での録音は中間部が良いが終わりは良くない、そして他の録音はイントロが良く、、、、』そして続けた。『フィル、これらのいい部分を繋ぎ合わせてくれないか?』
『やってみよう』、と私は答えた。しかし問題は多かった。ピアノの音を編集するのは難しい。それにテンポも違うし、ピアノソロなのでドラムのクリック音も入ってない。それでも自分はベストをつくし、繋ぎ合わせてそれなりのバージョンを作った。スティーブに聴いてもらうと『まあまあいいが、悪い所もある。3つのピアノセクションからなので、調子が合ってない。ドラムを加えてみてどうなるか試してみよう。』これを聞いて自分は度肝を抜かれた。スティーブが、フリーのテンポで弾かれるピアノに合わせてドラムを演奏することにしたのだ。普通はドラムが最初に録音されるものだが。。。
スティーブの自宅のスタジオ機材は素晴らしかったが、この時はそのどれも使わず、長いケーブルを通してアイランド・モービル内の機材を使った。2回のテイクでスティーブはドラムを8分間のピアノ演奏に合わせて録音し終えた。彼がボーカル、ギター、ベース、キーボードを出来ることは知っていたが、彼がドラムまでも、しかもクリック音なしのソロピアノに合わせて演奏できてしまう技術に感動してしまった。その後、次々と他の楽器をスティーブがオーバーダビングで録音していった。
スティーブの多くの楽器を演奏できる才能は、このようにオーバーダビングを多用する録音ではとても役に立った。スティーブの自宅での録音は続き、彼はピアノ、オルガン、ドラム、ギター、ベース、フェンダーローズを次々に演奏した。これらのパフォーマンスを見るのはじつに楽しかった。

4. 再びベイジング・ストリート・スタジオへ


3月までにほぼ作業は終了し、再びベイジング・ストリート・スタジオへ戻った。最終のオーバーダビングとミックスを行い、またリーボップ・クワク・バーとブラザー・ジェイムスのパーカッション、それにジム・キャパルディとニコル・ウィンウッドのバックボーカルの録音を行った。
スティーブは全てのオーバーダブを終え、またLuck's Inのギターソロを録音し、3月の終わりまでに6曲をミックスする準備ができた。なんとか最初のミックスを終えてクリスを含む皆にコピーを渡し、各自がよく検証することにした。2週間後にスタジオ2に戻り、3日間かけてリミックスを行った。結局録音を開始してから全部終えるまでに6ヶ月間かかった。これは今まで自分が関わったプロジェクトの中で最長だ。

5. Steve Winwood(ファーストアルバム)の完成

スティーブによれば『これは力強いアルバムだが、自分には契約があったので、踏み車に乗せられていたような感じだった』。契約のためにアルバムをむりやり作らされたため、やる気がなさそうに見えたのかもしれない。
スティーブの最初のソロアルバムを作り上げたのは私(フィル)にとって実にうれしい経験だった。特に、最初チッピング・ノートンのスタジオでオルガンやピアノを録音したり、Vacant ChairやLet Me Make Something in Your Lifeの録音を聴いて感動のあまり背筋がぞくぞくした日々が思い出される。自分にとって幸運なキャリアの発展をもたらし、自分の名前をレコード会社のフリーのエンジニアのリストに加えられることにもなった。
これらのすべては、最初の2日間にWalk Me to the Liliesという曲(結局未完成)に取り組んだことから始まったのだった。

(コメント)
・Chipping Nortonで録音したのは10曲。アルバムの6曲とHotel Blues 以外の3曲の名前は明らかになってない。(Walk Me to the Liliesの録音は最初の2日間だけ、しかもスタジオが異なるのでこの10曲には入っていないと思う。)このスタジオでのセッションからはVacant Chairのみがアルバムに収録されたので、このセッションからの未発表曲/バージョンが9曲あると思われる。
 
・その後ベイジング・ストリートのスタジオで、アンディ・ニューマークとウィリー・ウィークスとともに再録音したとあるが、全部で何曲そこで録音されたかはこの本に書いてない。Vacant Chairはこのトリオのメンバーでもやった可能性が高い(ベストテイクを決める時に、Chipping Nortonでやったバージョンが残ったという記述があるので。)また、4曲に絞りこんだとあるので、他にもトリオで録音した曲がある可能性がある。


Midland Maniac by Steve Winwood

2014-12-20

David Hood(bass)のウィンウッドに関するコメント

前回紹介したvintageguitar.comの記事にDavid Hood のインタビューが少し載っていて、スティーブのベース演奏に関して語っています。

スティーブは優れたベース奏者だ。ライブでトラフィックの曲を演奏するために、彼が弾いたベースをレコードからコピーするのはいつもチャレンジだった。なぜなら彼は普通のベースプレーヤーと少々違った考えを持っているからだ。しかし自分はいつも彼と同じようなフィーリングになるように努力し、それが達成できるといつも得る所が大きかった。彼は自分にどのようにプレイしたらいいか言ったことはなく、アルバムの演奏を参考にして自分の演奏を作り上げた。ちなみにShoot Outのアルバムの録音に参加した時も自分で演奏を考えた。

新事実:Traffic の Shoot Out at the Fantasy Factoryはマッスル・ショールズで録音された!

Trafficのアルバム Shoot Out at the Fantasy Factory (1973)はマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオのミュージシャン、David Hood (bass)とRoger Hawkins (Dr)が、トラフィックの一員として参加していることで有名です。(アルバム詳細はstevewinwood.infoのサイトをどうぞ。)
このアルバムのクレジットによれば、この録音はジャマイカのStrawberry Hill Studiosで行われたことになっているが、自分にはこれがずっと気にかかっていた。マッスルショールズにミュージシャンやエンジニアがいるのに、なぜわざわざ皆でジャマイカに渡って録音したのか。それにアルバムに掲載のマッスル・ショールズのスタジオの駐車場で撮った写真(上のリンク参照)にはメンバー全員が写っているではないか!ジャマイカ録音は本当なのか。。。気になっていろいろ調べると、David Hoodが、このアルバムは実はマッスルショールズで録音された、と言っている記事を発見。その理由として、当時トラフィックのメンバーはアメリカ国内で仕事をするための労働許可を持っていなかったことを挙げています。彼の他に誰もそういうことを言う人がいないのは多少気になるが、上記の理由が本当ならそれも分かるような気がする。David Hoodのオフィシャルサイトにメールアドレスがあったので、確認のために彼にメールで尋ねると『Shoot Outのアルバム録音はすべてマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(*)で行われた。ミックスもそこでされた。』と返事がきました。機会があればスティーブにもぜひ聞いてみたいです。

(*)Muscle Shoals Sound Studios, 3614 Jackson Highway, Sheffield, Alabama 35660