2010-11-06

Blind Faithの長文記事

前回少し触れたけど、Johnny Black氏によるBlind Faithの長文の記事がGinger Bakerのオフィシャル・ウェブサイトにのっています。これはMojo誌に1996年に出たようです。この記事のことは今まで知らなかったけど、様々なことが書かれてありかなり読み応えがありました。ブラインドフェイスの結成前の話から、結成当初、レコーディングとアルバム作製、ハイドパークでのライブとツアー、そして解散という一連の事柄やブラインドフェイスが巻き込まれた様々なトラブルについて踏み込んで書かれてありました。メンバー4人それぞれに関するエピソードも興味深かったです。

スティーブはトラフィック在籍時の1968年のクリスマスにエリック・クラプトンの家に招待されて夜通しジャムセッションをし、その時に一緒にバンド活動をすることについても話し合ったようです。そして翌年1月にTrafficを解散したときに『自分はエリックと一緒に活動をしていこう』と思ったそうです。スティーブが1969年にトラフィックを去った理由ははっきりしていないようですが(ジム・キャパルディですらスティーブからは何も知らされず、クリス・ブラックウェルから解散を知らされたとのこと)、この記事を読む限りではスティーブはクラプトンと一緒に活動をしたかったからトラフィックを去ったようにも思えます。やめた理由がはっきりしないので、そう考える方が筋が通るような気もするけど。。。(ちなみにスティーブ自身はいろんなインタビューで、トラフィックをやめてから自分もエリックもフリーだったので、お互いが接近したと語っています。)

またスティーブはBlind Faithのバンド名を気に入ってなかったけど、成功したら名前なんてどうでもよくなる、と思って気にしないようにしたそうだ。レコーディングでは、自分たちの素晴らしいジャムセッションを録音しなかったクリス・ブラックウェルにジンジャーが怒りだして彼を追い出し、代わりにジミー・ミラーが担当するようになった。またスティーブはCan't find my way homeの演奏を気に入ってなかったが、後日録音を聴き直してみたら思いのほか良かったとのこと。それからブラインドフェイスがスーパーグループと呼ばれるようになったこともあり、レコード会社が大金を獲得しようとして自分たちを操っているとの思いがあったので、自分たちの立場を示すためにフリーコンサートをハイドパークですることにしたそうだ。またそのときの聴衆にはジム・キャパルディやクリス・ウッドもいたそうだ。それから全米ツアーではジンジャーの奇行がだんだん目につくようになり、またエリックはDelaney & Bonnieと演奏することに夢中になったので、バンドはツアーの終わりに自然消滅したとのこと。バンド結成時とは逆に、解散するときはエリックとスティーブは何も話し合う必要がなかったそうだ。他にもいろいろ書いてあるので、興味のある方は読んでみてください。

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